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Violaceo Luna


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弱音

俺は、最近になってからは本当の意味で弱音を吐いたことは無いつもりです。肉体的なものとか、単発的なものであれば何度も書いた気がします。それを日記に書くことで自分のその時の精神状態を示す記念になるという思いがあったからです。 


昔の、特に浪人時代には色々グチグチ言っていた気がします。精神的に不安定な時期が多かったです。また、それを聞いてくれる友人達がいました。その友人達の多く(というかほぼ全て)とは、直接会って話をする機会は得られませんでしたが、当時の俺にとっては心強い支えでした。 


大学に入ってからの俺は、それなりに充実していましたし、安定していました。それに連れて、友人達の支えを俺自身がそれほど求めなくなっていました。友人達もまた、新たな環境に身を置くことになったりしたことで徐々にミクシィから離れ、ミクシィ以外での繋がりも希薄になっていきまいました。 


俺は、それ以前のように女々しく弱音を吐くことを嫌うようになっていましたし、弱音を聞いてあげる機会も無くなったことで、お互い成長したんだなと思っていました。 



ところが、ここ数日で、とてつもない虚無感を覚えました。
自分という存在が、ひどく滑稽なものに思えました。 



今まで、他人を頼らなくなっていくことが自分の成長だと思っていました。人に支えてもらうことなく、自分で歩けるようになることが大事なことだと思っていました。
でも一番大切なのは、
つまずいて転びそうになったときに支えてくれる人、転んだときに心配して起こすのを手伝ってくれる人がいる、ということなんじゃないかと思いました。 


恐らく、産まれてから今まで、転ばないように気をつけることばかりを気にしていたんだと思います。転ばないようになることが自分の成長であり、それが重要なことだと思っていたのかもしれません。 


転ばないで走りつ続けるよりも、転んだときに助け合う方が楽しいんじゃないかと思うようになりました。
転ぶことは確かにイヤです。挫折なんてしないに越したことは無いのかもしれません。けれども、そうなったときに支えてくれるような存在が居ることは、そのこと自体が一生の宝物であり、大事なことなんだと思いました。 


俺は強烈に転んだ経験があります。
転んだ上に、蹴りまで入れられたこともあります(笑) 


そのときに支えてくれたのが、先に述べた友人達でした。俺はその喜びというか、楽しさを知っていたはずでしたが、自らそれを放棄したのかもしれません。今でもお互い、良き友人だと思っていますが、以前のような親密さになることは難しいように思います。 


こういう人のことを本来、友達作りが下手だ、と言うのでしょう。 


俺は今、片足でケンケンしながら前に進んでいるような気がします。
もし何かの拍子で転んだとき、俺の隣には誰かいてくれるんでしょうか。俺の元に駆け寄ってくる人はいるんでしょうか。 


そう考えると、自分に自信が持てなくなってきました。
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資質

「人の上に立つ」という言い方をすると、少々攻撃的な表現になってしまうかもしれませんが、要するに複数名から構成されているグループを率いる人というのは、誰にだって出来るようなもんじゃないと思っています。まとめなければいけない人数が多ければ多いほど困難なのは言うまでもありませんが、必要になってくる「資質」というものは、ある程度重複する部分は多いんじゃないでしょうか。


最近、年が明けたせいかグループで長を決めるのが増えてきています。その中の一つに、誰がリーダーに向いているかという投票が行われたものがありました。グループを牽引するために必要な能力はどこで見分けるべきなのか、というのを先程述べた「資質」という面から。次に資質のあるものが出揃い投票になったときには、何が決め手で当選するのか、というのを書いていきます。


まとめ役に必要な資質、というものの捕らえ方は人によって様々だとは思いますが、俺は「まとめ役に徹する」ことだと考えています。リーダーと言うのは意見を述べる存在ではなく、意見をまとめる、または色々な意見が出てくるように促すという役割が一番重要なのであって、それは自分の主観と全く正反対のものであっても他の意見と同系列に扱わなければいけません。言ってみれば司会進行です。
もちろん意見を全く言うなということではなく、意見を言うときの自分は「いちチームメイト」であり、それをまとめる役としての自分とは切り離して考えるべきなんじゃないかということです。自分の言葉はリーダーの言葉。リーダーの言葉は神の言葉。となっては、もはや「まとめている」のではなく「従えている」という表現の方が適切でしょう。
人望というものも当然必要になってきます。無闇にチーム内部で敵を作るようなやり方はよくありません。仮に内部で対立的な構図になったとしても、上手く割って入って解決策を導き出せるようであれば、どちらの側からも慕われる存在になるはずです。そういう意味では、攻撃的な性格よりも事なかれ主義的な性格の方が向いているかもしれません。
一方で、外部に敵がいた場合では前者の方が優勢かもしれません。ですが、それは人望というよりは求心力になってしまうかもしれません。


次に、資質ある人達の中から一人だけを選ぶ場合、何が決め手となるのか。それは選ぶ側が求めるニーズです。ある意味、能力の差などを埋めてしまうほどの"力"を持っていると言えます。一時的ではあっても、爆発的な"力"です。
顕著な例が、現在話題になってるアメリカ大統領選挙の候補者選びだと思います。特に民主党は、数年前までヒラリー・クリントン氏が圧倒的有利だったにも関わらず、今では完全にタークホースだったオバマ氏が優勢かと言われるくらいにまでなってきました。
2人の違いは「安定か変革か」という、ほぼ一点です。オバマ氏の演説にはChange(変革)という言葉がよく使われます。今のままではいけない。今まで通りでもいけない。そういう意味合いです。逆にヒラリー・クリントン氏の場合は、ファーストレディ(大統領夫人)という立場にいたこともあり、知識と経験は豊富なものの、逆にそれに縛られてしまっているイメージが拭えません。そもそもアメリカでは、クリントン前大統領が「よかったな、ヒラリー。私と結婚したからファーストレディになれたじゃないか」と言うと、「何を言ってるの。私が他の人と結婚していたら、今頃はその人が大統領よ」とヒラリー氏が返した、というほどヒラリー・クリントン氏の政治的手腕の高さを表したジョークがある、と聞いたことがあるくらいです。
数年前までは、経済も国際情勢も混乱が修まり掛けて来ていて、横ばいと言えるような状況でした。ところが、ここ数年でサブプライム・ローン問題、原油価格の高騰などで経済は混乱。人々が「今のままではいけない」と思い始めたときに表れたのがオバマ氏でした。
つまり、選ぶ側というのは、一種の「空気を読む」行動の表れなんだと思います。皆が今、何を求めているかを敏感に察知し、その求めるものを与えてくれそうな人に託すわけです。


ダラダラと書きましたが、これが俺の投票に関する考え方です。特に選挙では皆が皆投票できるわけではありません。国会議員などを選ぶときも現在の法律では二十歳未満は投票権がありません。今回、俺に身の回りにおこった例の一つもそれに類似した形でした。なので、皆が何を求めているのかを精一杯考えたつもりです。



さて、大阪府知事選はどうなることやら。



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